レス

>2071・04さん
>>吐き気を催しても見るしかない
もちろん私もそのつもりです。このまま黙って見過ごすなんて出来ませんから。
その上で、末永遥が全国にその名を轟かせたときに「昔氷点に出演していた」事実が広く世に知れ渡れば最高ですね。(笑)
>>東証一部上場の某事務所のアイドルの売り出し方
大昔の作品のリメイクの失敗は「赤い〜」シリーズで経験済みなはずなんですけどね。(苦笑)
いったい何を考えているのやらといった感じです。


>富士っこさん
>>珍しく意見が一致
そういえば、音楽以外の話題では最近意見が一致していませんでしたね。(笑)
>>白夜行
実力以上の演技を求められた綾瀬はるかを責めるのは酷ですからね。
内容については端的に言えばこんな感じです。やり方次第でもっといいドラマに出来たはずなのに、本当にもったいないです。
>>「凡庸な恋愛映画」と「一種の奇跡」
これについては好みの問題も絡むので不毛な議論になるような気もしますが。(^^;


>がじゅさん
「彼を知り己を知れば、百戦して殆うからず」ですから。(笑)
とはいえ、(言葉と意味は知っていましたが)実のところ2071さんがコメントで使われていたのでレスで被せたというのが真相なんですけどね。

高部あい1st写真集「アイシテル。」

クオリティ高いです。ルックスやスタイルの良さはもちろん、言葉では言い表すことの出来ない彼女の魅力が詰まってます。
大人っぽい表情よりも年齢相応の笑顔のショットによりその魅力が表現されています。
彼女のルックスそのものは僕の好みの「ど真ん中ストライク」をいうわけではないんですが、
彼女の身体を包みこむオーラみたいなものにすごく惹かれているんですよね。
そして、そのオーラは彼女がショービジネスの世界を生きていく上で大きな武器になると思います。

追記・白夜行

昨日の記事ではドラマの構成という観点から評価を下しましたが、ちょっと物語自体にスポットを当ててを考えていきたいと思います。
まず、この物語は基本的に犯罪の連続です。亮の父親殺害、この罪を隠すために罪を重ねていくわけですよね。
しかし、その事実そのものには何もない。つまり、この物語の核は「罪を罪で隠す犯罪行為の連続だけではない“何か”」にあるわけです。
そして、その“何か”を伝えることがこの物語の存在意義であるわけですよね。しかし、製作側にその“何か”を伝える表現力が決定的に欠けていた。
それがこのドラマが破綻してしまった最大の要因であることは言うまでもないですよね。
さらに、追い討ちをかけるように最後の最後で物語そのものが崩壊してしまいました。あのラストシーンがこのドラマを意味不明にしてしまった。
ラストの持っていき方、つまり雪穂のその後の生き方としては2つありましたね。
一つは亮の死を無駄にせず強く生きてゆく雪穂。もう一つは生きる気力を失ってしまう雪穂。
で、ドラマでは後者が選ばれたわけですが、この選択そのものは別に間違いではないと思います。というかこの選択に間違いは存在しません。問題はその行き着く先、つまりラストシーンですから。
もちろん、後者を選択した場合、雪穂が強く生きていこうとしたというのは大前提になります。
それは警察で嘘に嘘を重ねて窮地を脱したシーンやR&Yを続けるために借金まみれになったと笹垣が話すシーンで表現されていましたね。
しかし、雪穂は生きる気力を失った。なぜなら、雪穂は亮を失ってしまったから。(ここでの「亮」は「初恋相手」と「太陽」という2つの意味が重複します)
雪穂がこれまで生きてきたのは「もう一度太陽の下を亮と一緒に歩く」ためだというのはこれまでも強調されていましたね。
「太陽」がなかった雪穂にとって、亮が「太陽」だった。だから雪穂は強く生きていけた。
しかし、その亮はもういない。亮と太陽の下を一緒に歩くことは永久に不可能となってしまった。
もはや雪穂に強く生きていくことなど出来ない。雪穂は生きる意味を失い、気力がなくなってしまった。
これが後者を選択した場合に考えうる唯一の展開です。そして、それはなんとか表現できていたと思います。
しかし、ラストシーンでそれもすべて無駄になってしまった。あのラストシーンは非常に不可解です。
ラストシーンで物語と関連性のあるエレメントは「太陽」と「子供」。
子供を「無垢・良心」の具現化と考え、「子供」がより重要なエレメントであるなら、
その子供と太陽(この場合太陽はすべてを照らすものと考える)の下で手を繋ぐことによる「罪の浄化」、
「太陽=亮」と考え、それがより重要なエレメントであるなら、雪穂を見守る亮の下、
亮の子供と手を繋ぐ=(太陽の下で)新たな人生を歩む「絶望からの再出発」、
「太陽」と「子供」の2つをを同列に並べた場合、雪穂にとって亮は「太陽」であると同時に「守るべき者」であり、
亮を守るために自らも手を汚してきた人生を「子供」という「無垢・良心」によって浄化する、つまり「倫理的破綻からの再生」ということになると思います。
それらすべてのメタファーが重層化されているのかもしれませんが、しかし、いずれも物語のテーマと関係ないですよね。
あのシーンは物語と分離しているのかもしれませんが、そうだとしてもやっぱわけわかりません。(苦笑)
というか、そもそもあのシーンにはメタファーも何もないような気さえします。(苦笑)
だったとしたら余計ダメダメですよね。物語はラストが一番肝心なわけですから。
結局、何を描きたかったのかわからないと言わざるを得ないんですよね。残念です。

原幹恵@GGG

セレブ体験ということでゴージャススパで白い泥やオイルボディトリートメントで身体を癒していました。
「世界仰天ニュース」で血液がドロドロであることが明らかになり、少し心配していたので、タイミング的にちょうど良かったんじゃないかなと。
ひょっとしたら事務所が機転を利かせたのかもしれませんね。ほんと、身体には気をつけてほしいです。